Linker書評/『嫌われる勇気』

書評

どうも、Linkerです。

今回はあの『人を動かす』の著者、D・カーネギーなど自己啓発のメンターたちに多大な影響を与えたアルフレッド・アドラーの思想を凝縮した一冊、『嫌われる勇気の書評です。

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アドラーの思想をブログのたった1ページに収めることは到底無理なことなので、今回は私がまさに共感した部分をピックアップしてご紹介します。

劣等感は主観的な解釈である

人間誰しも一度は劣等感を感じたことがあるはずです。

「なぜ自分だけ他人より背が小さいのだろう」
「なぜ自分はあいつよりうまくできないのか」

このような感情、抱いたことありますよね。
当然僕自身もあります。それで自暴自棄になったことも。

逆に劣等感を抱いている人に対して、このように感じたことはありませんか?

「え、それそんなに悩むこと?」
「誰も気にしてなくね?」

そうです。誰も気にしていません。

つまり、「劣等感は主観的な解釈」なのです。

劣等の程度にもよりますが、多くの場合、人間は物事を悲観的に見てしまっています。

それは勝手な思い込みで、案外みんな気にしていないし、気にしているのはあなただけだよ、って話です。

これ聞くだけで、自分の悩みがちっぽけに聞こえてきませんか?

ちなみに、劣等感という現在語られているような文脈で使ったのは、アドラーが初めてだそうですよ。

全ての悩みは「対人関係」の悩み

人間が持つ様々な劣等感、悩み。

これらは全て、「対人関係」の悩みだとアドラーは言います。

他人が存在するから悩みが生まれる、そういうことですね。

例えば、自分が宇宙にたった1人の存在だということであれば、どんな悩みが生まれるでしょうか。

この場合はおそらく、「孤独」という答えが一般的でしょう。

この「孤独」という悩みも、自分以外の他者を必要とするから生まれる悩みであって、他者を必要としなければ生まれない悩みです。

自分の悩みを深掘りして見てください。

例えば、背が小さいことや、自分の外見などの身体的特徴が悩みの人だったら、それは間違いなく「対人関係」の悩みですよね。

誰かに「背が高くてかっこいい」、「お肌ツルツルで可愛い」、そんな風に思われたいから生まれてくる感情です。

背が小さいということは、背が大きい人のように相手を無意識に威圧することはなく、かえって相手をくつろがせる効果がある、と言い換えることができます。

どんな悩みもプラスに捉えましょう、気にしているのはあなただけです。

承認欲求を捨てよ

皆さんが行動する理由はなんですか。

多くの場合、他人から賞賛されたい、つまり「承認欲求」を満たすためでしょう。

学歴重視の親に認められたいから良い大学に行く人、他人からすごいと思われたいからブランド物で着飾る人、全員が全員そうではないですが、そういう人もいるでしょう。

アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。

我々は他者の期待を満たすために生まれたのではないし、他者の期待など満たす必要はないのです。

承認欲求ばかり求めると、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞる、つまり他者の人生を生きることになります。

そして覚えておいてください。

他者も「あなたの期待を満たすために生きているのではない」ということを。

だから、相手が自分の期待通りに動かなくても決して怒ってはなりません。

それこそ自己中心的な考え方です。

課題の分離

「じゃあ他者の期待なんかに答えず、身勝手に振る舞えってことか!」

承認欲求を捨てるって、そのような怒号が浴びせられそうな考え方ですよね。

これを理解するには「課題の分離」という考え方を理解しなければなりません。

例えば、勉強をしないで家でゲームばかりしている子どもがいるとします。

ここでアドラー心理学では、「勉強する」というのは「誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。

勉強するもしないも子どもの自由、つまり「勉強する」というのは子どもの課題であって親の課題ではありませんね。

その子どもの課題に対して、親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対していわば土足で踏み込むような行為です。

自分の課題と他者の課題を分離して、他者の課題には踏み込まない。

これがアドラー心理学における「課題の分離」です。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込む、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされます。

ではトラブルを避けるため、他者の課題に踏み込まないためにはそれが誰の課題なのか、見分けなければいけません。

その方法は実にシンプルで、「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か」を考えるだけです。

先ほどの例だと、もしも子どもが「勉強しない」という選択をした時、授業についていけなくなる、希望の学校に進学できない。そのような結末がもたらされます。

だから「勉強する」は子どもの課題であって、親の課題ではないのです。

ここで注意ですが、アドラー心理学は放任主義を推奨するものではありません。

子どもに、勉強というのはあなたの課題だと伝え、もしも本人が勉強したいと思った時にいつでも援助する用意をしなくてはいけません。

ある国のことわざで、

「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

というものがあります。

アドラー心理学における他者への援助全般はそういうスタンスです。

何が言いたいかっていうと、

「自分を変えることができるのは、自分しかいません。」

本当の自由とは

アドラー心理学における本当の自由とは。

結論から言います。

自由とは、「他者から嫌われること」です。

  • 他者の評価を気にしない
  • 他者から嫌われることを恐れない
  • 承認されないかもしれない

これらのコストを支払わない限り、自分の行き方は貫けません。

他者にどう思われるかより、自分がどうあるか。

それが自由です。

対人関係のゴール

全ての悩みの原因は対人関係であるということはわかってくれたことと思います。

それではアドラー心理学における対人関係のゴールは一体どこにあるのでしょう。

対人関係の出発点を「課題の分離」とすると、対人関係のゴールは「共同体感覚」の会得になります。

共同体感覚とは、他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられる感覚のことを言います。

難しいですね。

ここで共同体感覚を英語に直してみると、「Social Interest」となります。

直訳で、社会への関心ですね。

社会の最小単位って何か知ってますか?

学校?家庭?
いや違います。

あなたと私です。

つまり、共同体感覚を身につける最初のステップは、自己への執着(Self Interest)を
他者への関心(Social Interest)に切り替え
ましょうっていうことです。

承認欲求を求める者は、皆自己中心的で、自己に執着しています。

「他者からどう思われるか」ばかり気にかける生き方こそ、私にしか関心を持たないライフスタイルなのです。

しかし、この共同体感覚というのは簡単には身につきません。

自分が生きた年数➗2の年数を持ってしてやっと身につけられる感覚だとアドラーは言います。

共同体感覚を持つために必要な3つの「キーワード」

1つ目のキーワードは「自己受容」です。

完璧を求めず、「完璧な人間はいない」という肯定的なあきらめをしましょう。

変えられないもの、つまり与えられたものを悲観するのではなく、与えられたものをどう使うかに注目しましょう。

例を出すと、60点の自分に対し、自己受容の反対である自己肯定の場合だと、
「今回は運が悪いだけで、本当は100点取れる!!!」と考えます。

対する自己受容の場合は、「100点に近づくにはどうしたら良いか」と考えます。

あきらめの語源は「明らかに見る」とされています。

つまり、あきらめとは物事の真理を見定めることです。

あきらめることは悲観的ではないのです。

2つ目のキーワードは「他者信頼」です。

他者を信頼するにあたって「一切の条件」をつけてはいけません。

「それじゃあ裏切られちまうだろうが!」

そんな声が聞こえてきました。

あなたは今、「誰かを無条件に信頼したところで裏切られるに決まっている」
そう思っています。

裏切る裏切らないはあなたの課題ではなく、他者の課題です。

あなたはただ、「私がどうするか」だけを考えれば良いのです。

ここでの選択は、「信じる」「信じない」ではなく、「信じる」か「切り捨てるか」にしましょう。

切り捨てるか切り捨てないかはあなたの課題なんですから。

最後のキーワード、3つ目は「他者貢献」です。

例えばある一家を例に出します。

夕食後、子どもは部屋に帰り、夫はソファーで寝転がってる。洗い物は妻がやるしかない。そんな時に決して「なんで私ばかり」と思ってはいけません。

それは家族を敵としてみています。

たとえ感謝されなくても「私は家族の役に立っている」と考えればストレスは無くなります。

他者が私に何をしてくれるかではなく、私が他者に何をできるか。
Give and Take ではなく、Give and Giveの精神でいきましょう。

※洗い物は妻がやれってことではないです。家庭に貢献するため、一家全員が協力して行いましょう。

幸せとは

皆さんにとっての幸せとはなんですか。

星が降る夜と眩しい朝ですか?

アドラーは「幸福とは貢献感」であると述べています。

主観的に「私は何かに貢献している」と感じることができれば、それで幸せです。

ここで言っておきたいのが、承認欲求を通じて得られた幸福は自由がない。

私たちは自由を選びながら、なおかつ幸福を目指す存在です。

幸福は自由あってこそです。

他者からの承認なんて、いりません。

人生とは

いよいよ最後です。

最後にして最も哲学的なテーマです。

結論から言います。

人生とは「連続する刹那」です。

我々は「今、ここ」にしか生きることはできないのです。

人生は「線」じゃなく「点」。

それを知らない大人たちは、いい大学、安定した職、安定した家庭などをそんなレールに子どもたちを載せようとします。

人生に線なんてありません。幸福な人生なんて人それぞれです。

劇の舞台上では強烈なスポットライトを浴びているため、観客席の後ろどころか前さえ見えません。演者は必死に踊るだけ。

同様に、「今、ここ」にも強烈なスポットライトを当てましょう。

過去に何があった、未来がどうであるかは「今、ここ」にはなんら関係ありません。

「今、ここ」を全力で踊っていれば、ふと気が付いた時、自分がとんでもないところにいることに気がつくでしょう。

アドラーは「一般的な人生の意味はない」と言います。

その後、「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」と続けました。

まとめ

長くなってしまいました。

いかがだったでしょうか。

アドラーの思想までたどり着かなくても、人生のヒントになりそうなことがたくさん書かれていたことと思います。

私自身も、この本と出会ったおかげで「今、ここ」を全力で生きることにしました。

その結果、ブログ等新しい取り組みにも手を出し始めたのです。

私の人生の一冊、まだ読んでいない方は是非。

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